継続性 良し悪しの判断基準について
物事の判断基準は状況によって様々です。
善悪、正しい正しくない、合法違法、大人だから子供だから、べき・べきじゃない…
どの状況を良い・悪いとするか
お金は沢山あるほど良い。栄養が多い食事ほど良い…しじみ何百個分も入っている方が良い。友人は多い方がいい。…と良く聞く話ですが、本当でしょうか?
お金が多い人程幸せでしょうか? 他人に妬まれることもあるだろうし、持ち物をどんどん買ってしまい、物が増え過ぎて管理できなかったり、手も頭も回らなくなるかも知れません。物を減らしていくような調節が出来ず、一応買っておこう、一応取って置こう、と増える一方になりそうです。変な人がお金欲しさに沢山集まってくることも多いでしょう。会ったことのない親戚や友人が現れ、断れない案件も増えそうです。結果数十億の資産が十年後に数十億の借金になったというニュースも聞きます。少し極端な例ではありますが。
栄養が多いという食事も、体が必要としている以上のものであると、糖質が脂肪になって増えて太ってしまったり、ビタミンの様な体に良さそうな物でも、過剰分は内臓が解毒や中和の必要に迫られて他の栄養が奪われたり、さらには排出の為に腎臓がフル稼働し、エネルギーを使わなければなりません。一時的にバランスが崩れ、病気になる危険性もあります。売上重視のCMを盲信してしまうと、栄養過多になっていまいます。現代の病気は殆どがこの、栄養過多摂取によるものでしょう。
身体に良さそうな”名前”の栄養分でさえ、基本的に一度全て体内に吸収され、その後不用分は排出をする、というプロセスを辿るのです。 口に入れた栄養分は全て”吸収”されてしまうリスクがあるのです。(食物繊維は栄養分ではなく、吸収されません。念のため)
何事も多すぎず少なすぎずが良い、という結論になるわけですが、その判断基準は何になるでしょうか?
私は物事を判断する時に、継続性が高いものが良い、と考えます。
続くか、続かないか。というものです。
継続性を求めると、お金はどの程度自分に必要かと考えた場合、 多ければ多いほど良い、とはなりません。
年齢、家族の数、家のサイズ、持ち物の量など、具体的に考えることになります。
さらには、
その家のサイズは家族(自分)にとって丁度良いだろうか? 継続性はあるだろうか?
狭すぎて持ち物が置き切れていない。息が詰まって気持ちよく過ごせない… では継続性はありません。
広すぎて落ち着かないし、自分たちで日常的に掃除しきれない。でも家政婦もいない… でも継続性はありません。
気持ちよく過ごす必要があるのか?別に汚れていたって、寝るだけだから構わないし気にならない、という人は、知らない内にいずれ心や身体が続かなくなります。 自分の身の回りの整理・管理が出来ないと、自分自身の体の中の管理もされず、ストレスや病気のリスクが累積してしまうのです。体の継続性、健康が維持出来なくなります。
この様に、あらゆるものの継続性を求めていくと、いずれ人間の心と身体の健康にたどり着くわけです。人間が続かなければ、続くものはないわけですから。
ここで逆算してみると、
最初に自分の健康(心と身体の継続性)を軸にして、物事の良し悪しをその”延長線”で継続性を判断することで、あらゆる事象の、ひいては社会全体に対しての、(さらには地球全体に対しての)より普遍的な判断力が高まるわけです。
これにより、良い悪い、善悪、正しい正くないという主観的・感情的な判断での、無用な意見のぶつかり合いや論争がなくなり、より客観的に高い判断力が達成できると思われます。
以上の理由から、
継続性が高いか高くないか、続くか続かないか、
これが自分の(このHPの)良し悪しの判断基準とします。